さて、BEE-HIVE継承説
ここは、そもそもBEE-HIVEとはなんぞやというところから始めないといけないので話が迂遠になりますがしばしお付き合いください。
ときは1997年、安室奈美恵、MAXに続き、沖縄アクターズスクールが送り出したティーネージャーユニットSPEED(デビュー時12~15歳)は「Whiete Love」を200万枚以上売り上げ、紅白歌合戦にも出場。本格派ボーカルダンスユニットのブームが到来していた(ちなみにSPEEDのレコード会社はトイズファクトリー)。
アミューズもこの流れに乗る。
(「1997年、沖縄のSPEEDキングの異名を持つあのティーングループが一世を風靡していた頃・・・」で始まる紙芝居がどこかにあったな・・・)
1998年8月、アミューズは全国アミューズオーディションを開催。当時11歳の川田由起奈、田野あさ美、上原香代子がグランプリを獲得した。全員居住地が西日本ということもあり、アミューズは芸能人養成スクール「キャレスボーカル&ダンススクール大阪校」(以下、キャレス)にレッスンを委託した。
そのキャレスには同じく1998年に結成された當山奈央を始めとする4人組ユニット「COLOR」が在籍しており、アミューズからスカウトされる。
COLORは、1999年7月にデビュー。当時14~16歳だった。
COLORデビュー曲「DOUBLE OR NOTHING」
COLORは2001年までに5枚のシングルをリリース。しかし売り上げはいまひとつ伸びないまま、大学生となるメンバーも現れ、2002年にはメンバーの1人が抜ける。しかしアミューズはここで終わらせない。キャレス出身の新たな3人のメンバーを加え、「Buzy」と名称を変更し活動を継続させ、2003年を迎える。
一方、この頃、川田由起奈、田野あさ美、上原香代子は、キャレス所属の村川絵梨を加えた4人組「BOYSTYLE」として活動を開始。
2002年7月に満を持してデビュー。当時14~15歳だった。
BOYSTYLEデビュー曲「Boys be Stylish!」
イメージ的にCOLOR(Buzy)は大人風のMAX、BOYSTYLEは子ども風のSPEEDという感じでしょうか。
BOYSTYLEはデビュー後、8か月の間に4枚ものシングルをリリースするという大攻勢にでるも、いずれもオリコンで50~60位代に沈む。先行きが不安視されるなか、2003年を迎えた。
2003年4月、アミューズに新たなユニットが加入する。アクターズスクール広島出身の中学3年生3人組は「ぱふゅ~む」と名乗っていた。
また、同じくアクターズスクール広島1期生である青木紗知歩もアミューズにスカウトされ、ぱふゅ~むと共に上京する。
他にも
・沖縄アクターズスクール出身で、モデル活動をしていた喜友名星
・小室哲也プロデュースFemale non Fictionのメインボーカルとして2002年にデビューしていた北海道ジュニアアクターズスタジオ出身の名取愛加
・アクターズスタジオ札幌本部校出身の小野麻亜奈
等のティーネージャータレントがアミューズには多数在籍していた。
このようなタレントを集め、女性新人タレント育成プロジェクトとしてアミューズが2003年に発足させたのが「BEE-HIVE」である。
構成メンバーは
・Buzy 6名
・BOYSTYLE 4名
・Perfume 3名
・喜友名星
・青木紗知歩
・小野麻亜奈
・名取愛加
BEE-HIVEは17人のグループ、ソロの共同体であり、個々の活動のほか、ユニットとしても曲をリリースし、共同でライブ活動などを行っていた。
2003年5月3日には、オムニバスアルバム「BEE-HIVE」をリリースしている。
1.One Heart:Buzy
2.おいしいレシピ:Perfume
3.アカイ メッセージ:小野 麻亜奈
4.Your Song ~ダイジな人へ~:青木 紗知歩
5.タイトロープ:喜友名 星
6.Crazy love:小野 麻亜奈/青木 紗知歩/喜友名 星
7.Time to go:BEE-HIVE
BEE-HIVEの特徴として、メンバー全員が地方出身者であり、アミューズの寮に住んで共同生活をおくっていたことがある。寮の一室にはBEE-HIVEカメラと呼ばれる24時間中継のWebカメラが設置されており、メンバーが随時カメラの前に登場し、生配信を行っていた。
BEE-HIVEカメラの映像は動画共有サイトに溢れかえっているが、Perfumeのあ~ちゃんが寮母さんに洗濯機の使い方を指導されているとされるこの動画がおもしろい。
なお、中元すず香を始めとするアミューズキッズが宿泊する寮もこの寮だと言われている。
さて、なぜアミューズがこのようなBEE-HIVEを生み出したかであるが、
1.ハロープロジェクトに倣った
2.Buzy、BOYSTYLEが不発に終わったため、その救済策
3.新人も単体で売るのは難しいため、ユニットとして成長を促す。
4.同じくソロ活動を行うアイドルの活躍の場を提供
ハロープロジェクトの全盛期となり、アイドルが単体で勝負するのは難しい時代。
Buzy、BOYSTYLE、そしてPerfumeをあわせてマスで勝負し、ライブ活動等を継続させる。その中から一人でも二人でも売れて欲しいという、長い目で見た構想だったであろう。
結果としてこの中から、BOYSTYLEの村川絵梨がNHK朝の連ドラのヒロインに抜擢され女優として開花。そして、Perfumeが大きく巣立つこととなった。
BEE-HIVEは2006年に自然消滅とも言えるかたちで活動を終えた。
参照ページ
http://sekaiseifuku.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post-1153.html
http://ameblo.jp/ppphive/entry-11395057719.html
BEE-HIVEを調べる過程で知ったBEE-HIVE「Time to go」はなかなかの名曲でした。くっそうまいボーカルはBuzyの當山奈央さん
BEE-HIVEの活躍をリアルタイムで知っていたかたたちは、さくら学院にBEE-HIVE、そのフィロソフィーの面影を感じたかたが多いようです。
曰く、既存ユニットの合体、将来有望なタレントの育成など共通する面が多い。
既存ユニットの可憐Girl's、ミニパティは、Buzy、BOYSTYLEに、モデル活動を主に活動していた三吉彩花は、喜友名星になぞらえることもできます。
寮で共同生活というスタイルは「学院」という疑似コンセプトにも繋がる。
いずれにせよ、元々アミューズはこのようにアイドルグループをマスで売っていくというフィロソフィーがあったということで、その意味で部活動先行説を補強するのがBEE-HIVE継承説でした。