さくら学院初期メンバーについて、ここまでは、既存ユニットなどのどちらかというとタレントさんの立場にたった見方をしてきましたが、原点に戻って、アミューズサイドの視点で見ていくのがやはり素直な見方でしょう。
既存ユニットや既存構想の合体ではあっても、ユニットとして成功させたい。売れるユニットにしないといけない。
(アミューズ的にはBEE-HIVE構想が尻切れトンボ的に終わってしまったのは忘れがたい出来事だったと思います)
そこで当然ベストメンバーを選ぶことになるわけです。
すでにピンで十分に活動実績を残していた三吉彩花が加入したのはベストメンバー説によると当然の流れとなります。
また、部活動がさくら学院コンセプトの大きな柱であることはこれまで見てきた通りですので、松井愛莉は三吉彩花の相方として選ばれたのではないかと考えています。
(設立当初から2人によるユニットは決まっていたことは以前述べたとおりです)
そして、さくら学院は成長を促すコンセプトのユニットですから、2人にはさらに花を開かせてほしいという願いも込められていたでしょう。
モデルだけでなく、ドラマや映画にも活躍の場を広げている三吉彩花。アイドル活動や団体行動を通じてさらにその可能性を広げて欲しい。モデル活動以外は経験したことのない松井愛莉、しかしその将来性に大きな期待を抱いており、さくら学院の活動を通じて大きく育って欲しい。そんな思いも込められていたような気がします。
また、佐藤日向もベスメン説です。
佐藤はその歌唱力が魅力だと考えています。
さくら学院は、「学院」「成長期」などのコンセプトがありますが、やはり歌をメインに活動するアイドルユニットですので、歌唱力があるタレントが必要とされるのは当然でしょう。
2012年度に「マシュマロ色の君と」を歌う中元すず香と佐藤日向は圧倒的です。2:44から中元すず香に勝るとも劣らない歌声を披露してくれるのが佐藤です。
このステージはさくら学院の歴史の中でも屈指のものではないでしょうか。中元すず香と佐藤日向が組んだらどんなユニットになっただろうと想像せずにはいられません。
なんか、この稿の考察は完全に思い込みだけで書いています(主観以外に根拠がない笑)。
思い込みついでにここでさらなる飛躍した妄想を。
このベスメン説でいくと、アミューズキッズでは金井美樹、布施柚乃、島ゆいかはネームバリュー的にじゅうぶんさくら学院メンバーとなる可能性があったと思ってます。
まあ、布施柚乃ちゃんは2009年にちゃおガールグランプリになったばかりなので、ちゃおガールに専念せざる得なかったので選考外として、金井美樹と島ゆいかは武藤彩未と同級生ということもあり、三吉彩花と松井愛莉のかわりに入る可能性が十分にあった。
この2人がなぜ外れたかはわかりません。金井美樹はちゃおガールに専念、島ゆいかは遠方のため辞退だったかもしれません。
武藤彩未、金井美樹、島ゆいかというユニット(部活)もぜひ見てみたかった。また、その可能性も高かった。しかし幻のユニットに終わった・・・
まぼろし?
そう!幻はマボロシとして存在したのです!
「マボロシ☆ラ部」として
マボロシ☆ラ部とは
Eテレのアニメ番組「くつだる。」に声優として出演したメインキャストの声優4人組(金井美樹、島ゆいか、佐藤日向、堀内まり菜)によるユニット。2014年9月に「Merry Go World」でCDデビューしている。
マボロシ☆ラ部 Maboroshi Love - YouTube
「マボロシ☆ラ部」はマボロシに終わった部活動だったんすよ!
いや~、妄想が過ぎました・・・
次に受け皿説です。
これは、成長期にタレントの成長を促すというまさにさくら学院のコンセプトそのものです。これについてはさくら学院マネージャー・岸岡倫世氏の貴重なインタビューがあります。この記事で岸岡氏は「さくら学院 生活指導」として紹介されています。
もともと当事務所内には所属している子供たちを中学3年生まで発掘・育成、中学卒業時にあらためて今後の進路を決めるというシステムがあるんです。高校生になるまでに子供たちの可能性をどう育てあげるか、というのがウチの部署のテーマ。そんな中である時、食育イベントを応援するための3人組ユニットをつくったんです。1曲つくってもらってイベントなどで歌っていたんですけど、それによって3人の意識が飛躍的に高まったんです。その経験から生まれたのが、さくら学院。メンバーに選ばれた責任感をもって頑張る。その意識をもって成長してほしいという思いがありました。
さくら学院生活指導 岸岡倫世氏インタビュー 別冊CD&DLでーた「ニッポンのアイドル宣言2」2012年11月7日発売より
アミューズ的に考えるとキッズの活躍期は小学生の間だけである。そこから芸能人として本格稼動する高校生までの間をどう過ごさせるかが課題であり、そこで中学生期を過ごす活動機関としてさくら学院は存在し、行き場のない子役を集めたとする説です。
この考えはちゃおガールとして活躍していた金井美樹、布施柚乃がさくら学院に加入しなかった逆説的根拠ともなります。
もしかしたら中元すず香も行き場のなかったタレントだったのかもしれません。
なお、このインタビュー内にある「食育イベントを応援するための3人組ユニット」は飯田來麗・堀内まり菜・杉崎寧々からなる「ミニパティ」のことで、「1曲」とは「ハッピーバースデー」。ミニパティ並びにのりぞーさん作曲のハッピーバースデーにKOBAMETAL氏が深く関わっているであろうことはこれまで述べた通りであり、ミニパティがさくら学院形成の大きな鍵となったことが窺えます。
最後に、武藤彩未あとのり説です。
これは、武藤彩未はさくら学院構想の最終段階で加入してきたとする説です。
アミューズはそもそも武藤彩未を除いた新しいユニットをつくろうとしており、メンバー選考を進めたが、やはりリーダーとなるべき人材がいなかった。
そこで最終的に武藤彩未の意思を確認したところ加入意思を示したため、ユニットリーダーとして迎え入れたというもの。
(武藤) 私、可憐Girl'sをやっていたとき、すごく楽しかったんですけど、正直「このまま続けたいのか?」ということはわからなかったんですよね、自分で。楽しいんだけれど「本当にこれを夢にしていいのか?」っていうのが、まだ子供だったから、よくわからなくて。それをお母さんに話したら「そんな中途半端な気持ちなら辞めなさい」って。それで私、1年間、学業に専念しているんですよ。
ーーー可憐Girl'sが終わってから、さくら学院がスタートするまでの期間ですね。
(武藤) そうなんです。この話はいままでしてこなかったんですけど、1年間、学業に専念しているうちに、気づいたこともたくさんあったので、いま考えたらあの1年間は大きいなって。さくら学院の話をいただいたときも、いっぱい悩んで、いっぱい考えたんですけど、やっぱり「期待に応えたい」という気持ちが芽生えてきたので、またやらせていただくことになって・・・そこからはもう本気モードっです。「楽しいからやる」じゃなくて、もう、その道しか考えないって。
Quick Japan vol.113(2014年4月)より
この説は武藤彩未が可憐Girl's後、1年間学業に専念していたことを根拠にするものです。かなり重要な指摘であり、当該インタビューの行間から類推できることもありますが、詳細は明らかではありません。
しかし、武藤彩未が並々ならぬ決意でさくら学院に取り組んでいたことがインタビューから伝わります。
それは中元すず香も同様だったでしょう。中元すず香は中学1年生~2年生の2年間、広島から通いながらさくら学院の活動に参加、さくら学院内で「根性娘」と評されたこともあります。それぞれが決意をもって臨んださくら学院だったことが想像されます。
このように、さくら学院設立メンバー選考考察は諸説あり、諸説とも突飛な箇所はあるものの、部分的には事実だろうという箇所もあります。
実際、さくら学院設立には様々な思惑が入り乱れた「妥協の産物」であったことは否めない事実かと思います。
ここまで述べたそれぞれの要因が絡み合って、実に危ういバランスで成り立ったのがさくら学院とも言えます。
各個人がバラバラの活動をして空中分解する可能性もあったさくら学院。
現在も芸能界で存在し続けているのは、武藤彩未の決意にも見られるように、他ならぬ初代メンバーの努力があったからだと思っています。
少女たちは集合体だけでは満足せず、絆を築き上げ、ひとつのユニットとして強固な存在となっていくのです。
次回以降は中元すず香のさくら学院期を追っていきますが、自然と、武藤彩未、三吉彩花、松井愛莉、そして中元すず香がいかにさくら学院を築いていったかという少女たちのドラマが浮かびあがってくることでしょう。