広島のすぅちゃん

BABYMETAL中元すず香の軌跡をたどる

 

730 広島のすぅちゃん


 2011年7月23,24日の転入式を終えたあと、武藤彩未が悔し涙を流します。

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 初めて続けて3公演やって、正直・・・満足してません。
 もっと出来たんじゃないかなってことがいっぱいあるので、これからもっともっと練習して、次に見てもらう時には、いいパフォーマンスが見せれるよう頑張ります。ありがとうございました。
 さくら学院 2010 - 2011 SMILE Documentary より

 転入式前にあれだけのことがあった。
 本番前日に話し合いの場をもたなければいけないぐらいなのですから、当然、満足できるデキではなかったのでしょう。

 この涙を見ていた人にこのかたがいました。

倉本美津留(くらもとみつる)

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 1959年広島県生まれ、大阪府育ち。
 大学卒業後、82年大阪・毎日放送突然ガバチョ!』、MBSラジオヤングタウン』のADに。同年、放送作家に転身。
 90年代半ばから拠点を東京に移し、『ダウンタウンのごっつええ感じ』『たけしの万物創世紀』『伊東家の食卓』『笑う犬の冒険』など数々のヒット番組を担当。また、『ダウンタウンDX』のトスポや『一人ごっつ』の大仏、『シャキーン!』のウロベエなど、声の出演も多い。
 ミュージシャンとして、バンド・リビドー解散後、ソロとして2001年アルバム『ニンポップ』でデビュー。NHKみんなのうた』でオンエアされたYOUとのユニット曲『月』をはじめ共演も多数。
 引用、写真出典:http://journal.rikunabi.com/work/job/job_vol68.html

 のちにさくら学院の「校長先生」に就任する倉本さんは、この転入式でさくら学院のメンバーと対面しました。

 僕は一番最初にさくら学院のステージをみたときに、渋谷のほうの小屋だったと思うんですけど、3回公演の最後のときに観に行ったときに (中略) その日に、終わって、初めて「校長になるから、一緒に頑張ろうね」って言ったあとに、「よろしくお願いします」のあとに、武藤彩未はですね、その僕が観た最終公演の前の公演のときになにか失敗があったみたいで「ほんとうに悔やんでいる」と。「ほんとにもっとしっかりしなきゃ私たちダメです」と、すっごい悔し涙を流したんですね。それは、怒られたわけじゃなくて、ほんとにその自分の目標に向かって一生懸命頑張ってて、その悔しさで泣いていた涙を見て、「うわー!こんな生徒会長がここにいるんだ」と思ってすごく感動したんです、そのときに。
 さくら学院2011年度卒業式式辞より

 倉本さん的には武藤彩未の人となりをあらわした言葉なのですが、歴史を辿る者からすると「あ、転入式のときにはもう校長就任が決まっていたんだ」ということに注目してしまいます。
 そう、すでに転入式のときは「色々と決まっていた」のです。
 以前、さくら学院の活動が本格的に動き出したのは、レコード会社をユニバーサルJに鞍替えし、「教室エンターテイメント」を標榜し始めてからと述べたことがありましたが、転入式の頃にはそういった動きが加速していたことがわかります。

 ユニバーサルJの担当者※はこう述べています。

菊地最愛)どうしてさくら学院と契約してくれようと思ったんですか?
(楮本昌裕マネージングディレクター)さくら学院っていう学校っていうコンセプトがね、とっても素晴らしいなと思っていて。学校が好きになって、なんかもっともっと楽しんで毎日が過ごせるようになるんじゃないかなと思っていて、そういう夢を、さくら学院と一緒に共有できるんじゃないかと思って、ぜひ教室エンターテイメントをやりたいと思って手をあげさせてもらったんですよ。
 テレビ番組「さくら学院SUN」より

 テレビ番組用に述べられた言葉ではあるが、ユニバーサルJアミューズが「教室エンターテイメント」というコンセプトを共有していたことがわかります。
 ユニバーサルJの楮本昌裕(かずもとまさひろ)さんは、ももいろクローバーが「行くぜっ!怪盗少女」でメジャーデビューしたときの担当者でもあります。

 

 教室エンターテイメントとユニバーサルJ移籍のどちらが鶏で卵なのかは、はっきりしたことはわかりません。

  1. レコード会社鞍替えの命題が先にあり → レコード会社を探すにあたり、新たな「打ち出し」が必要 → 「教室型エンターテイメント」コンセプトを掲げ営業活動 → ユニバーサルJが手を挙げた
  2. ユニバーサル移籍 → ユニバーサルより売り出すための強力なコンセプトを求められる → 教室エンターテイメントを標榜
  3. さくら学院売れない → 倉本さんなんとかなりませんか → こんな感じがええんちゃう? → それやるにはお金がかかります… → ユニバーサルさんなんとかお願いできませんか

 色々なパターンが考えられる。そもそもトイズファクトリーとも「シングル1枚、アルバム1枚」だけの契約とか「1年契約」だった可能性もあり、なにもはっきりしたことはわからないが、間違いないだろうと推測できることは、「教室エンターテイメント」「倉本校長就任」「ユニバーサルJ移籍」は3点セットだったということ(詳細は今後時系列を追っていくことで明らかになっていきます)。
 三者(事務所、放送作家、レコード会社)が協議しながら大きな企画が進んでいく体制となり、以降、さくら学院の動きは激動期とも呼べる激しさとなります。
 そのような兆しを生徒会長である武藤彩未は感じ取っていたでしょう(もしかしたらレコード会社の人間も転入式を見に来ていたかもしれない)。
 そこでベストのパフォーマンスを見せることができなかった悔し涙だったのかもしれません。

 

 さて、この頃からさくら学院の動きは急加速するわけですが、そこからスピンオフしたかたちでBABYMETALの動きも同時平行的に進むため、とても追いきれるものではなくなってきます。
 あとから追っても動きがわからないぐらいですので当の本人はたいへんだったことでしょう。
 すぅちゃんは結局、夏休みの間、一度も広島に帰らなかったといいます。

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 http://ameblo.jp/sakuragakuin/entry-11025993629.html

 一度も帰らないなんて寂しいじゃないってことはなく、松井愛莉ちゃんも一緒に寮に泊まっており楽しく過ごせたようです。
 それにしてもフラフープって。まわせるようになったのかな?(参照:200 初めてのレコーディング ASH2008春の発表会

 

 


 8月5日、すぅちゃんが学院日誌を更新します

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 http://ameblo.jp/sakuragakuin/entry-10976218522.html

 どうですかこれ!
 さくら学院の日誌がこのようなかたちで更新されるのは初めてのことです。
 いかに中元すず香が独創的かが如実に表れていると思います。
 見るものをクスッとさせつつ感謝も伝える。

 しかしこれは前振りに過ぎないのです

 翌日に学院日誌を更新したのはまたもや中元すず香

 

 題名:みんなで考える日

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 http://ameblo.jp/sakuragakuin/entry-10977395319.html


 中元すず香の言葉の前ではなにを言っても色褪せますが、
 この日誌を見るたびに目が潤んできます。
 「そして、どこにいてもずっと変わらずにいたいです。」・・・

 

 中元すず香を語るにおいて広島は外せないのです。
 東京にいようが海外を駆け巡ろうが、アイドルであろうがメタルクイーンであろうが、いつでもどこでもその芯は「広島のすぅちゃん」

 


 この日誌のコメント欄を読んで、ハッとさせられたことがありました。

 「公式ブログでこういう事を書くのは、とても勇気のいることだったと思います。」
 「あえて2日続けてすず香ちゃんに日誌を更新させたさくら学院の先生の判断は素晴らしいと思います。」

 周りの理解なくしては、ですよね。

 そしてこんなコメントも
 「すぅちゃんって、人々に何かを伝える役目を持って生まれて来たのではないでしょうか。」
 こんな言葉を紡ぎだせるファンにもすぅちゃんは恵まれたんですね。

 


 このお中元からの2部作。
 これはなんかBABYMETALと似てるような気がします。
 BABYMETALも紙芝居なんかでおふざけつつライブは超本気 とか
 楽曲そのものも合いの手なんかでおふざけしつつ、最後には謎の感動に持っていく とか
 根は超マジなのに始めは相手を油断させてかかるんですよね。で、ガツンといくと。
 中元すず香KOBAMETALって相性いいんじゃないかなあって思ってます。

 

 

 さて、今年の8月6日、BABYMETALは「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」に出演します。どんなステージを見せてくれるのでしょうか。行かれるかたの熱いレポ楽しみにしております。

 

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