広島のすぅちゃん

BABYMETAL中元すず香の軌跡をたどる

 

690 苦難を乗り越えさくら学院再出発


 2011年5月から7月にかけて、さくら学院は大きな試練に直面します。
 7月23,24日に開催されるライブ「さくら学院2011年度 NEW ~ Departure ~」(以下、「転入式」)に向けて準備に入ったさくら学院は様々な壁にぶち当たることとなったのです。

 

1 大変革 転入生加入

 新たにさくら学院に加わることになったのは

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田口華(たぐちはな) 小学6年生
2008年に『ぷっちぐみ』の読者モデル準グランプリを受賞。続いて『ちゃおガールオーディション2009』で準グランプリを獲得し、アミューズ入りした。

 

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磯野莉音(いそのりのん) 小学5年生
幼少期よりキッズモデル・子役活動をしており、『ちゃお』『ぷっちぐみ』『ニコ☆プチ KIDS』といった雑誌で活躍。オリコン『kids Style』で2006年専属モデルを務めている際にスカウトされアミューズ入り。

 

 いまでこそさくら学院に転入生が毎年加わることは当然のこととなっているが、このときが初めてのメンバー増員となった。
 それも、2012年度以降は卒業して少なくなったメンバーを埋めるかたちでの新規メンバー加入だが、このときは純増
 すでに出来上がったチームに幼い小学生が加わるかたちとなった。

 初顔合わせは2011年2月に行われていたが、2人が初めてレッスンに参加したのは2011年4月23日。

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こんな幼い転入生たちを受け入れるメンバーの気持ちはどうだったのだろう。

---転入生を迎え入れる立場はどうでした?
菊地 正直(転入してからの)1年間は、私にとってすごく濃いものだったので、“転入生が入ってきて、10人の関係性が崩れちゃったらどうしよう・・・”という気持ちはありました。「転入生が入ってくる」という噂を初めて聞いた時、やっぱりショックだったんです。自分たちも転入生だったから、本当は言えないんですけど。
水野 まだ1曲しかないさくら学院からやってきて、いろんな壁を乗り越えていった10人だからこその絆があったんです。だから、“この10人でやっていきたい!”という想いは、みんなが強くて。転入生を受け入れないというか、“この10人のままでいいじゃん”みたいな風になってたんです。由結もそう思ってました。
 写真集「さくら学院 菊地最愛 水野由結 田口華 野津友那乃 2015年3月 卒業」より

 

---(転入生を受け入れるのが)実際イヤだったメンバーいます?歓迎してあげましたか?
菊地最愛「やっぱり、わたしたちは10人でずっと活動してきてたから、正直、転入生が入ってきてどうなるかもわかんなかったし、この関係を築くのがすごいたいへんだったので、入ってきてどうなるかすごく不安だったんですよ。でも入って、華と莉音が最初の転入生じゃなかったら、転入生制度を受け入れてなかった
  LoGiRL第1回放送より

 年頃の女の子が10人集まり、年齢もバラバラなメンバーたちがダンススキルも歌スキルも不揃いななか、練習を重ね、時には泣いたり励ましあったりしながらようやくひとつのチームとしてまとまりかけてきた頃。
 転入生を受け入れられない在校生たち。そもそもなぜ転入(新規メンバーを加入)させるのか、メンバーたちは理解できなかっただろう。
 この頃はまだ卒業制度すら認知されていなかった(武藤彩未らが卒業する際にも、ほんとはいなくならないだろうと多くの下級生たちが思っていたことは様々なところで語られている)。
 「いまのメンバーでは何かが足りない。だからメンバーを増員させる」そう言われているように受け取ってしまったメンバーがショックを受けるのも当然だろう。

 

 ちなみに1年後に2012年度転入生を迎えるにあたっての気持ちはこう述べている。

---迎え入れる立場はどうでした?
菊地 卒業式を終えて、魂が抜けた感じだったので、まだ転入生を迎える気持ちになってなかったというか。でも、華と莉音の時のような気持ちはもうなく
水野 逆に楽しみでした。
 写真集「さくら学院 菊地最愛 水野由結 田口華 野津友那乃 2015年3月 卒業」より

 まったく気持ちが違っていることがわかる。2012年度以降の転入生は迎え入れられた。
 翻って、田口と磯野。
 転入生なんか必要ない。そんな雰囲気の中に飛び込んでしまった2人の幼い少女たち。彼女たちはどう思っていたのだろう。

 

---(転入により既存)メンバーの中に入る気持ちはどうでしたか?
田口華「やばかったよ。(中略)だって、せっかく今までこの10人でやってたのにさ。自分たちが入るってなると、なんか嫌がられたらどうしようみたいな」
  LoGiRL第1回放送より

 

磯野 みんなとの初顔合わせでは“本当にみんなが受け入れてくれるかな?”って不安の方が大きかったのは覚えています。
---それは転入生ということで?
磯野 (前略)みんなが話している内容がよく分からない場面もスゴく多かったし、馴染めていないって感じて不安になるコトが多かったです。
 写真集「さくら学院 磯野莉音大賀咲希白井沙樹 2016年3月 卒業」より

 

磯野 正式に転入生として受け入れるのは、莉音と華が初めてだったのもあってか、先輩たちにとっても初めてのコトだらけだったし、その頃は、メンバーそれぞれが自分を磨くコトに一生懸命な感じで。だからこそ、その姿を見て「私たち後輩も先輩に追いつけるように成長しよう!」って、みんな頑張れたんだと思います。
 引用:月刊エンタメhttp://www.entamenext.com/news/detail/02/id=1556

 

---以前、卒業式でも泣かなかったとか、あんまり感情を表に出さないって言っていましたね。
磯野 泣いたりとか自分の弱い部分を、人に見せるのがイヤなんです。それに、そういうスタンスの方がカッコイイじゃないですか!?
---さすがだな~。そうなると卒業していった盟友の田口さん同様、2011年度転入生の2人は、まさに“漢”ですね!
磯野 2011年度に自分が転入してきた時は、先輩たちも各々が自分を高めようとしてたから、正直言いたいコトもあんま言えなかったし……だからこそ、前向きに考えるしかない! って、華と莉音はこうなったんだと思います。
 引用:月刊エンタメhttp://www.entamenext.com/news/detail/id=1556

 

 磯野はメンバーの状況が「それぞれが自分を磨くコトに一生懸命」「各々が自分を高めようとしてた」と述べてますが、これはひとつ間違えば、「他の者に構ってられない」という状況でもあり、磯野は遠まわしにそう述べていると思います。構ってくれないからこそ、自分たちで努力するしかないと感じたんだろうなと。

 田口も磯野も感情すら表に出すことが許されない状況。

 自分たちが強くなることでしか先輩たちを見返せなかった少女たち。
 2人は懸命に努力し、負けん気と頑張りで自分たちを認めさせる。

 

水野 でも、華と莉音は、足を引っ張らないようにものすごくレッスンに集中してて。休憩時間も踊ってて。
菊地 すごく努力家だったんです。
水野 その時期、ちょっと慣れてきて、だらけていた雰囲気だったんです。でも、「転入生がこんなに頑張ってるのに、由結たちがこのままじゃいけないよね」ってなって、やる気のスイッチが入った。
菊地 だから、認めざるを得なかったんです。2人が頑張っていたから、私たちも成長できたと思います。
 写真集「さくら学院 菊地最愛 水野由結 田口華 野津友那乃 2015年3月 卒業」より

 

 

2 変革 ミニパティ解散

 先のことに触れてしまうが、転入式でミニパティ飯田來麗、堀内まり菜、杉崎寧々)は解散し、メンバーの座を水野由結菊地最愛田口華に譲り渡すこととなる。
 このようなことが行われたのはさくら学院では初めてであり、以降も現役メンバー総替えという暴挙とも言えることが行われたことはない。

 さくら学院よりはるかに歴史があるミニパティ。小学4年生の頃から活動してき、先日のインストアイベントでも新曲プリンセス・アラモードを披露したばかり。なぜこのようなことが行われるのか。飯田來麗、堀内まり菜、杉崎寧々は戸惑いとともに悔しい思いをしたのではないだろうか。

 彼女たちの心境が窺えるインタビュー等は見つけられなかったが、譲り渡された3人はこんな風に述べている。

---2011年7月の転入発表当日に、3人でミニパティを引き継ぎましたよね。あれはどうでした?
田口 華は、転入したその日に引き継いじゃって、“いいのかな・・・”ってめっちゃ思いました。(中略)引継ぎが終わった(ライブの)後に、3人が泣いているのを見て、“あぁ、どうしよう・・・”って思ったし。
菊地 しかも(初代ミニパティが)『プリンセス☆アラモード』を1回しか披露してないのに変わることになったから、申し訳ない気持ちが大きかった。
田口 だって、自分が「卒業だから」ってミニパティを引き継ぐことになったら、絶対嫌だ!ってなるし。
水野 嫌だなぁ。変わりたくない
 写真集「さくら学院 菊地最愛 水野由結 田口華 野津友那乃 2015年3月 卒業」より

 飯田來麗、堀内まり菜、杉崎寧々がこのライブに向けてどのような心境で挑んでいたか、想像するにいたたまれなくなる。また、その想いを感じた下級生3人もミニパティ3人に笑顔で接することなどできなかっただろう。

 

 

3 リベンジ 新聞部SCOOPERS

 転入式でようやく新聞部SCOOPERSの曲が初お披露目となるのだが、これにはある背景があった。

(転入式で新聞部SCOOPERSが「Brand New Day」披露した際のこと)

MCで、当初は浦和美園のイベントで披露する筈だったケド、
先生から許可が下りなかった、と彩花チャンが暴露してました。
 引用:http://d.hatena.ne.jp/crossroad_2010/20110726/1311691643

 前回記事にある、浦和美園イオンで行われたインストアイベント。
 三吉彩花は地元で初のイベントということでテンションがあがっていたと記したが、裏ではこんな悔しい思いをしていた。
 以前触れたように、さくら学院の初めての練習のときから新聞部として一緒に練習していた2人。ステージデビューするまで1年以上の期間を要している。やっと用意された舞台は、三吉彩花の地元さいたま。この檜舞台で披露するはずだった自分の曲がダメ出しで・・・
 転入式にかける三吉彩花の思いは半端なかったであろう。
 また、松井愛莉も(たぶん自分のせいだと思って)必死に練習したことであろう。

 


4 本格メタル曲 イジメ、ダメ、ゼッタイ

 転入式で重音部は「イジメ、ダメ、ゼッタイ」を初披露することになった。
 中元すず香はどのように感じていたのだろう

SU 私が“メタル”という感じで初めて聴いた曲ですね。『ド・キ・ド・キ~』は自分たちにも親しみやすい感じだったし、“メタル”と言われてもよくわからなかったんですけど、『イジメ~』を初めて聴いた時は、「これがメタルなのかな…」と思って。『ド・キ・ド・キ~』もインパクトがあったんですけど、この曲は、真剣に歌っているはずなのに、どこかおもしろいところがあって。2人の合いの手(スクリーム)がついふざけていたり、よくわからないものが組み合わさっている感じに、最初はすごく動揺しました。あと、私が一番とまどったのは、歌うだけだったこと。それまで、ダンスをしながら歌うのが当たり前のことだったので、どうやって歌っていけばいいのかわからなくて、最初は苦労しました
 2014年3月3日発売BIG ONE GIRLS NO.21より

 プロとしては初めてのダンスなし歌唱。純粋に自分の歌唱力のみが試される初めての曲。それがなんと初めての本格派メタル曲という・・・
 ステージに全身全霊を捧げる中元すず香がどれほどの不安と葛藤を抱いてこのステージに臨んだのか、想像するに余りある。


5 さくら学院 新曲「Friends」初披露

 


 わかっているだけでこれだけのことが重なった転入式。
 その他にも様々なことがあっただろう。
 メンバーたちは自分自身のことで精一杯だったと想像するに難くない。
 この状態ではチームとしてまとまりようもなかった。
 それぞれがそれぞれの方向を向いてしまいバラバラになりかけたさくら学院

 彼女たちは本番前日に話し合いの場を持つこととなった。

 

中元すず香 12人での初めてのライブでは、前日まで振りが揃わず、話し合いの時間をもって、自分たちのルールを決めたこともありました。
 さくら学院2011年度卒業式中元すず香送辞より

 

---このライブ(転入式)前にメンバーのみで、あるミーティングが行われた。
武藤彩未 リハーサルやっているときに、振りもそろってないし、歌も全然ちゃんと歌えてないし、これじゃあお客さんに見せるものにならないでしょって。ちょっとこれはやばいなと思ったので、メンバー内だけで相談しようということになって、ほんとに実際に先生とか関係者の人たちゼロで、自分たちで話し合ったんですけど。まずは、色々あるんですけど、そのときちょうどメンバー同士もピリピリした雰囲気になっていてお互いうまくいってなかったので、やっぱりここはなんでも言い合おうよという約束をつくって。そんなメンバーなんだから隠し事とかはやめようよって。なんでもわかっていたほうが、言い合えたほうがきっとまたいい作品つくれると思うからってことで、まず第一に、なんでも言い合おうということを決めました、そこで。
 実際、泣いているコもいましたし。だから、その話し合いがなければもしかしたら今はなかったかもしれないと思うのでやってよかったなって思いますね。
 さくら学院 2010 - 2011 SMILE Documentaryより

 

 涙を交えながら本音をぶつけ合った少女たち。
 話し合い、自分たちのルールをつくったことは一つの成果となる。

 

中元すず香 いままでのさくら学院を振り返ってみようってなって。彩未ちゃんたちが築いてくれたことって何だろうなっていうところから。莉音と華ちゃんが転入してきたときに、いっかいさくら学院でルールをつくろうってなって、さくら学院ノートっていうのをつくって、10個ぐらいルールをつくったんですよ。決まり事というか、これからこうしていこうみたいなのをつくったんです。
 2013年3月20日南波一海のアイドル三十六房特別編~中元すず香インタビューより

 

 さくら学院ノートをつくったのは三吉彩花

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 この画像は、転入式当日のもの。話し合いが行われたのは本番前日なので、三吉彩花は本番前夜にこのノートを作成したことになる。


 こうして少女たちは気持ちを一つにし、新生さくら学院として再出発することになった。

 

 


 ところで「受け入れられなかった」転入生たち。本当に手を差し伸べる者はいなかったのだろうか。

---田口さんは、松井さんにくっついていた印象が強いんだけど。
田口 転入式の日から、愛莉ちゃんにずっとくっついてました。なんか、“来ていいよ”っていう空気が出てたっていうか。本当に可愛がってもらったんです。だから、卒業するってなったとき、“愛莉ちゃんがいなくなったら、誰といよう・・・”ってめっちゃ思いました(笑)。
 写真集「さくら学院 菊地最愛 水野由結 田口華 野津友那乃 2015年3月 卒業」より

 

磯野 (松井)愛莉ちゃんは、(三吉)彩花ちゃんと(武藤)彩未ちゃんの間にいるイメージ。正直、彩花ちゃんと彩未ちゃんは雲の上の人というか、気軽には話しかけづらい感じだったんですが、愛莉ちゃんは不思議と話しやすくて。さくら学院の相談事も愛莉ちゃんにすると、それを他の2人に伝えてくれたり、本当に“間”を取り持っていてくれる存在でしたね。
——かなり頼れる先輩だったんですね。
 引用:月刊エンタメhttp://www.entamenext.com/news/detail/02/id=1556

 

---そんな磯野さんに優しく手を差し伸べてくれた先輩はいましたか?
磯野 すぅさんは、転入してからもお手紙交換をずっとしてくれました。私が悩んでいるコトを自分から言わなくても、すぅさんは察してくれたし、当時のメンバーの中では気軽に話ができる先輩だったんだなぁと思います。
 写真集「さくら学院 磯野莉音大賀咲希白井沙樹 2016年3月 卒業」より


話し合いの場をもうけ、隠し事はせずなんでも言い合おうと語り掛けた武藤彩未
それを受け、さくら学院ノートを夜なべしながらつくった三吉彩花
転入生たちに優しく寄り添って手を差し伸べた松井愛、そして中元すず香

 

 現在も強固な存在として絆を保ち続けているさくら学院の土台をつくりあげたのは疑うべくもなく彼女たち。
 そのうち3人が抜けてしまって、さらなる危機に直面した際、ひとり残された中元すず香は3人と一緒に写った写真をお守りとして持ち続けていくこととなる。

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中元すず香最後の学院日誌より http://ameblo.jp/sakuragakuin/entry-11501516665.html

 

 

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