可憐Girl'sの任務完了ライブを終えた中元すず香は余韻に浸ることもなく、翌日の2009年3月15日に、新宿シアターサンモールで行われたミュージカル「冒険者たち」の公演最終日に出演します。
会場には、武藤彩未、島ゆいかも来場した模様。
参照:アイドルマスターSICの手帖さん http://blog.livedoor.jp/yakushimaruhiroko/archives/51601071.html
カーテンコールのすぅちゃんはとても楽しそうに伸び伸び歌ってます。
【M20】冒険者たち~カーテンコールメドレー~ by かおの - ニコニコ動画
中元すず香は、2010年に「冒険者たち」に再演を果たした際のインタビューにてこのように語っています。
Q.子どもの頃の「冒険」体験は?
前回の「冒険者たち」の時に、
家族と離れて1ヶ月東京で生活したことです。
最初は1人で掃除や洗たくをするのが、すごく大変だったけど、
すぐに楽しくなりました。
2010年「冒険者たち」パンフレットより引用
すぅちゃん、小学校5年生にしてたいへんな冒険をしたんだね・・・
可憐Girl'sの任務完了、連日のミュージカル出演、そして1人での東京生活・・・
人生においてとても濃密な1ヶ月だったことでしょう。
こうして東京生活を終えたすぅちゃんは広島に帰ります。
2009年3月29日、中元すず香はアルパークにて行われたアクターズスクール広島の「スカラシップ公開オーディション」にゲスト出演します。
3月22日に行われたアクターズスクール広島の春の発表会ではMC出演にとどまったすぅちゃん、久々のASHの活動参加となりました。
この日、中元すず香は「Tomorrow」を歌ったとされます(直接的なソースは見つけることができませんでした)。
公開オーディションの様子はこちら
KEN爺の小言様:http://ameblo.jp/kenjey-factory/entry-10233094635.html
可憐Girl'sの活動が終わり、アクターズスクール広島の活動に専念することができるようになったすぅちゃん、これ以降はまたASHの生徒がたくさん出演するステージにでることになるのかと思いきや、そうもいきません。
アクターズスクール生が外部で出演するステージは、原則、オーディションに受かって発表会に出演した者が舞台に立つことができるのです。2009春の発表会に欠席してしまったすぅちゃんはASH選抜のステージにたつことができません。
しばらくはまた地道にアクターズスクール広島の練習に通う日々が続いたことでしょう。
一方、アミューズではこの頃から、アミューズキッズを集めて月に1回歌とダンスのレッスンが行われていました。アミューズは可憐Girl'sに続くアイドルユニットをつくろうと模索を始めていたのです。
さくら学院が開校する1年以上も前から毎月のように行われていたオーディション兼レッスン。毎月のように課題曲&自由曲があり、あの頃小学生だった由結は悪戦苦闘しながらもいつかみんなと一緒にステージに立ちたい!という一心で頑張っていました!!
水野由結の学院日誌よりhttp://ameblo.jp/sakuragakuin/entry-12009925153.html
水野由結(後のYUIMETAL)は、幼少期よりCMモデルや子供向けファッション雑誌の読者モデルなどをしており、2007年頃、アミューズ入りしたと言われている。
アミューズは次世代のアイドルユニットをつくろうと模索していた。
後から歴史を辿る我々はこのアイドルユニットが「さくら学院」として1年後に花開くことを知っているが、この頃はまだどのようなユニットにするか模索中だったことであろう。
中元すず香はこのように語っている
さくら学院は誕生する前に、1年間かけてオーディションをやっていたんですよ。
ユニット組んだりして、ずっと、レッスンみたいな感じでオーディションをよくやっていて。
だけど、すぅはあんまりそういうのに参加できなかったんですよ。広島から通ってるっていうのがあって。2012年7月トークイベントにて:https://youtu.be/dEnSI7UhjsI?t=21m25s
「ユニット組んだりして」というあたりに試行錯誤している様子が見てとれますね。
また、このオーディション兼レッスンは、大阪でも開催されており、名古屋在住の菊地最愛は大阪のレッスンにも通っていたことがわかっている(ソース失念)。
菊地最愛(後のMOAMETAL)は、ミニパティの堀内まり菜、杉崎寧々と同様に、2007年ちゃおガールオーディションで入賞(準グランプリ)し、アミューズ入りしていた。
このように、新たなアイドルユニット(後のさくら学院)をつくろうと模索していたのは、アミューズキッズ担当である千葉伸大氏を中心とするキッズ事業室サイドであったろう。
しかし、この「オーディション兼レッスン」にはバラエティ班の小林啓氏(KOBAMETAL)も絡んでいた可能性がある。
以下、KOBAMETALのインタビューを並べてみる
ーーで、どうやってBABYMETALは具体化したんでしょうか。
SU-METALが前に所属していた可憐Girl'sという3人組の小学生ユニットがあったんです。
ダンスも歌もポテンシャルが高かったんですよ。また面白い子達が出てきたなと。
活動は1年間で、特に“任務完了ライヴ”って言われている活動最後のライヴがすごい熱かったんです。
それを観て「これは!」と思って。で、解散の時に新しいユニットを作ろうと思ったんです。
MARQUEE Vol.94 (2012年12月)
――「AKB48」や「ももいろクローバーZ」の他、さまざまなアイドルが存在する中でBABYMETALは異彩を放つグループだ。なぜ、メタルとアイドルを組み合わせようと考えたのか。
KOBAMETAL:単純に、自分がメタルもアイドルも好きだったという理由が大きい。 例えば、「Perfume」というテクノとアイドルを組み合わせた成功例がある。これを自分が新しく作るならば、アイドルに組み合わせるのはメタル以外にはないと思っていたところ、メインボーカルのSU-METAL(さくら学院の中元すず香)に出会った。
日経トレンディネット2012年10月31日http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20121026/1044961/?P=2
――そもそもBABYMETALのメンバーはどうやって選ばれたのか。
KOBAMETAL:BABYMETALは、さくら学院の重音部という位置付けだが、企画自体はメインボーカルのSU-METAL(中元すず香)が所属していた「可憐Girls」が09年に解散となった辺りから構想していた。
SU-METALを中心としてメンバーを探したが、彼女が独特な存在感を持っているので、まったく別のキャラクターを加えるのがいいのではという結論に至った。
そこで、SU-METALの周りを天使のような子たちが踊っているのはどうだろうと、YUIMETAL(水野由結)とMOAMETAL(菊地最愛)に参加してもらうことになった。
日経トレンディネット2012年10月31日 http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20121026/1044961/?P=3
でもやっぱり誰かと組ませたいとは思ったものの、彼女(SU-METAL)のダンスとヴォーカルのスキルを考えると、一緒に並列できる子がなかなか見つからなかったんです。
そこで、まったく違うキャラクターにしたらどうかな?と思った時、YUIMETALとMOAMETALがいて。この2人がSU-METALの周りで天使の様に踊っているというのが面白いと思って、そこからなんですよね、
BABAYMETALが具体化したのは。MARQUEE Vol.94 (2012年12月)
ーーBABYMETAL結成に至るまでの流れをお聞きしたいのですが。
自分で新人を見つけ、育てて、売り出していくということをやりたいなと思ってて。で、どういうのがいいかなあと思って自分で会社を俯瞰で見たら、Perfumeに続くアーティストがいないことに気づいて。それで企画してみようと思ってメンバーを探してたんです。
そのときにキッズ事業室っていう、子役とかキッズモデルのセクションなんですけど、そこに光るモノを持ってるコたちがいるって聞いて、発表会を観に行ったりオーディションを開催したりして。そうしたら、そこに今のBABYMETALのメンバーもいて。
音楽主義No.60 http://www.nexus-web.net/article/ongakusyugi-60/
「自分で新人を見つけ、育てて、売り出していくということをやりたいなと思って」いた我らが小林さんは、「自分が新しく作るならば、アイドルに組み合わせるのはメタル以外にはない」という思いとともに、密かにどこかにいいコはおらんかなと探していたところ中元すず香と運命の出会いを果たした。
中元すず香に出会い、可憐girl's任務完了後は、「新しいユニット」をつくるためのメンバー探しの旅が続いていた。
そこで「キッズ事業室っていう、子役とかキッズモデルのセクションなんですけど、そこに光るモノを持ってるコたちがいるって聞いて、発表会を観に行ったりオーディションを開催したり」していたということになる。
我らが小林さんは、アミューズキッズの「オーディション兼レッスン」にもちょくちょく顔を出し、ときには、彼女と彼女と組ませて歌わせてくれないかなんてオーダーをだしながら、密かに「自分で新人を見つけ、育てて、売り出していく」構想の具現化を図っていたことでしょう。
そんな大人の思惑はつゆ知らず、アミューズキッズの少女たちは「悪戦苦闘しながらもいつかみんなと一緒にステージに立ちたい!という一心で頑張ってい」たのでした。(なんか泣けるぞオイ)
なお、肝心の我らが中元すず香さんは
「広島に住んでいたということもありあまりレッスンに参加できなかった」模様です。
他方、ミニパティは徐々に活躍の場所を広げていきます。
〇初仕事として、食育を中心とした子育て世代向けフリーマガジン・humhug(ハムハグ)に柿沢安耶とともに掲載
http://www.humhug.net/magazine_2/no09/index.html
撮影は4月30日、下記ブログ参照
http://ameblo.jp/patisserie-potager/archive1-200904.html
〇6月30日、農林水産省にて石破大臣とともに「ペットで夢棚田」田植えイベント
http://humhug.net/blog/greentourism/2009/07/01/post_9/
いや~、いかにも「お仕事」って感じですなあw
〇7月20日、名古屋市科学館特別展「お菓子の秘密」に柿沢安耶とともに出演
http://ameblo.jp/patisserie-potager/entry-10303904749.html
小林さんよ、売る気あるのか?という感じでミニパティの活動が進行していきます。マスコットガールなんでこういう活動になってしまうのは仕方ないんでしょうね。
しかし、なんとこの科学館で行われたイベントでミニパティは「ハッピーバースデー」を初披露した。まじめにお菓子の秘密を学びに来たお母さんや子供たちはびっくりしたことでしょう。
ちなみに「ハッピーバースデー」の曲は以下の動画で2010年時のものが見れます。
5:45あたりから