2005年6月10日、食育基本法が成立した。
突如、中元すず香とまったく関係ないところに話しがいってしまいますが、大きく廻って関係してきますのでしばしお付き合いください。
小泉政権の2002年、自民党政務調査会に「食育調査会」が設置されて以来、政権の政策の1つとして(若干の)注目を浴びてきた「食育」。背景には産地偽装等の食の安全を蔑ろにした事件が相次いだことがあったとされる。
食育とはなんぞや?については、なかなに難しい。政府がつくった食育基本法のガイドを見てもわかったようなわからないような気分になる。
http://www8.cao.go.jp/syokuiku/data/pamph/pdf/syoku_suisin.pdf
とりあえずは、「食育」は「国民が健康的な生活をおくることができるよう、食≒食べ物≒農産物に関する適切な知識を身につけるための教育・学習」と整理しておく。「体育」との比較で理解するしかないかもしれない。
さて、小泉政権肝いりで始まった「食育」については、健康という観点から厚生労働省、食材という観点から農林水産省、教育という観点からは文部科学省といった具合に省庁横断的な政策であることから内閣府が所管することとなった。
内閣府主導で成立した食育基本法。法律が制定されたからには各省庁はなにかやらないといけない。
さて、なにをやるのか?
文科省なら簡単である。学校教育に「食育」に関するカリキュラムを組み入れていくことになる。では、内閣府、厚労省、農水省は?
食育基本法は、国民一人一人の食についての意識を高めていくことを目的としている、いわゆる「国民運動」なので政府は普及啓発運動に努めることになる。
地方自治体等の普及啓発運動は、地元の各種団体や自治会等の協力のもと、地道な活動が続けられるが、省庁サイドはそんなマンパワーもノウハウもないので、予算をぶんどってきての外注丸投げということになる。
大手広告代理店の収入の柱の一つに政府筋からの受注がある。
こうして莫大とまではいかないがそれなりのお金がマスコミ、芸能界隈に流れ込んでくることになった。
各種メディアにはさりげなく「食育」といった言葉が踊り始め、得たいの知れない料理評論家や健康アドバイザー等が雑誌等に取り上げられ、テレビに出演し始めることになる。どれだけ効果があるかは定かではない。しかし「なにかやっている」ことが重要なのだ。
アミューズもこの流れに乗る。
2007年11月20日、アミューズは翌年に控えた創立30周年事業企画として、3事業を選定、実施していくことを発表した。
http://ir.amuse.co.jp/pdf/20071120eir.pdf
社内、社外を含め応募総数371企画のなかから選ばれたとされるのがこれ
①ニート救済企画事業「産地直送!農業ドキュメント『移民のうた』(仮題)
②アミューズ所属アーティスト junaida(ジュナイダ) プロデュース、食育を考えたレストラン事業「junaida ワンダーレストラン」
③新しい形のエンターテインメントモバイル事業「エンターテインメントナビ『モバイルサイトてのひらコンシェルジュ』
3企画のうち2つが食・農。
①「移民のうた」
「職」のない若者たちを7人1 組で農地へ「移民」。
「食」のプロフェッショナルの元で共同生活をしながらの有機農業を通じて、愛や友情、そして「やさしい野菜」が生まれるまでを追う、愛と青春の農業生活ドキュメント企画。
彼らが作った有機野菜を、レストランなどに提供する他、番組化を視野に入れ、視聴者にも産地直送販売を実施。雇用創出と食糧創出。「職」と「食」をエンターテインメントでつなぐ社会貢献事業企画。アミューズ起案者 市毛るみ子
政府への提案書なのかと見間違えるような内容。
これがテレビ番組になってしまうんのだからアミューズの力はすごい。(2009 年1 月よりテレビ東京で「畑のうた」として番組化。毎週日曜11:00~11:25。番組制作アミューズ)
採算はとれたのであろうか。
②「junaida ワンダーレストラン」
両親の共働きや少子化、核家族の増加によって子供たちが一人で食事をすることが多くなった近年。食事をする「環境」を重要視し、子供たちにとっての理想の食卓「junaida ワンダーレストラン」を提案します。
アミューズに所属する画家「junaida (ジュナイダ)」の描くキャラクターをレストランの至る所に登場させ、その世界観で店舗全体のイメージを統一し、ワンダーランドとして展開。
そして子供たちへの『食育』と位置づけて、「食事」・「食物」への興味喚起を行います。junaida のイラストや、スタッフたちとのコミュニケーション等を通じて「食べること」の楽しさを感じてもらい、こだわりの食材と料理、イベントへの参加等を通じて「食べるもの」への興味を喚起します。
アミューズが30年間培ってきたエンターテインメントのノウハウを活かし、次世代を担う子供たちへ、食育を兼ねたファミリー向けの「夢のレストラン」を目指します!アミューズ起案者
子安史朗
佐藤仁美
牧信太郎
市毛るみ子
新井英文
小林啓
はい。。。なぜ食育の話しをしだしたか。
ここでようやく我らがKOBAMETALこと小林啓さんの登場です。
KOBAMETALとは
BABYMETALのプロデューサーであるアミューズ社員の小林啓氏のこと。
特色として、通常のアイドル(アーティスト)は、事務所はマネージメントを行い、楽曲制作は別に音楽プロデューサーをたてるが、KOBAMETALは、楽曲の制作についても直接的に陣頭指揮をとり、マネージメント、コンサート運営(時には音響エンジニア、大道具さんのようなこともやる)、メディア戦略といったほぼ全てのBABYMETALの活動の企画から実行段階まで関わっているところ。
素顔はネットを探すとでてきますが、本人は表にでたくないでしょうから載せないでおきます(笑)
のちにBABYMETALの生みの親として大プロデューサーとなるKOBAMETALですが、ここでは諸氏にとって馴染みあるサラリーマン悲哀の話しに陥っていきましょう。
アミューズが新たに進めようとしている食育・農業プロジェクト
推進者はだれでしょう?
採用されたプロジェクトの両方に名前が載っていることからもわかりますよね。
それが市毛るみ子さんです。
市毛さんは当時アミューズの執行役員であり、ここに連なっている面々の中で一番上の肩書きを持ちます。市毛さんは福山雅治のマネージャーを務めたアミューズの実力者で、現在は常務取締役です(社内ナンバーファイブポジション)。
http://ir.amuse.co.jp/company/directors.html
ちなみに子安史朗、佐藤仁美、牧信太郎、市毛るみ子、新井英文、小林啓 の中では、子安さんが最も若いのか、市毛肝いりの農プロジェクトの直接担当となっています。
さあ、アミューズの実力者・市毛の企画に巻き込まれてしまった我らが小林さんはこの頃いったいどういったポジションだったのでしょう。
我らが小林さんの経歴はよく謎とされていますが、案外そうでもありません。かつてアミューズのHPでは小林さんのインタビューが掲載されていました(現在は見れません)。
2010年に掲載されていたインタビュー時の小林さんの肩書きは
「第2マネジメント部第2制作室長の小林啓さん」
「音楽班での仕事の後、インディーズレーベルの立ち上げを経て※、バラエティ班に異動になりました」
「バラエティ班は役者やミュージシャン以外にも、大学教授やパティシエなど幅広い分野で活躍している人を担当している部署で、2年目になりました。」
「今は中野さんをはじめ12組のアーティストを担当しています。中野さんには「キテレツ室長」と命名されていますが、社内では「コバケイさん」と呼ばれてます。」
※SIAM SHADEやCASCADEのメディアプロモーションを約2年担当して、その後社内のインディーズレーベルで、ハードコアなどラウド系バンドの制作宣伝をやってました。
引用:音楽主義No.60 http://www.nexus-web.net/article/ongakusyugi-60/
ということで、※の情報も総合すると我らが小林さんは、音楽畑でやってきたが、あるときバラエティ班に異動となり、「中野さん」(サンプラザ中野のこと)や「大学教授やパティシエなど幅広い分野で活躍している人」のマネージメントをすることとなった。
30周年企画にでてくる画家の「junaida (ジュナイダ)」さんもおそらくこのバラエティ班所属でしょう。バラエティ班の小林は食育・農業プロジェクトに巻き込まれていきます。(あるいは、30周年企画に絡んだからこそ、バラエティ班に異動となったのかもしれません)
我らが小林さんが「くぅう、俺はほんとはロックがやりてぇんだよ」と思っていたかどうかは定かではない。ただし、さすがに希望外の部署だったのでしょう。会社は室長という肩書きに格上げしてくれます。
---ずっと偉くなるのを拒否していたんですよね。で、上司が「コバケイの給料を上げてあげたいから、室長になりなさい」と命令して室長になったんだとか?
小林 マイペースだから管理職になって大丈夫かな、という不安もありました。ただ、今のポジションにつくことで、このアーティストとこのアーティストのコラボが面白いんじゃないかとか、このアーティストにきた話はこの人と一緒にできるんじゃないかとか、選択が広がり、「こういうことをやったら面白そう」という自分のアイデアを実現しやすい環境になりました。
我らが小林さんはプロデューサー的な仕事が可能なポジションに昇りついていたのです。
そんな小林さんに降りてきた指令がこれ。
「上司から「新しくて面白いアーティストを見つけてきなさい」という漠然とした命令を下されて」
この指令を下したのが市毛かどうかはわかりません。
市毛は下の経歴を見てもわかるように、バラエティ班(第2マネージメント部)の直接担当ではありませんが、結果として「野菜のスイーツを作るパティシエ」を小林がスカウトしてきたことからして、食・農プロジェクトに絡んだ指令だった可能性があります。
市毛るみ子 来歴
昭和53年11月 当社入社
2003年(平成15年)4月 当社執行役員制作企画部長
2004年(平成16年)7月 当社執行役員マネージメント担当 兼 第6マネージメント部長
2006年(平成18年)4月 当社執行役員第3マネージメント部長 兼 第5マネージメント部長 兼 WILL事業部担当
2007年(平成19年)7月 当社上席執行役員第3マネージメント部長 兼 WILL事業部担当
2008年(平成20年)7月 当社取締役 第2・第3・第4・第5マネージメント部,番組制作部,新人開発部,FC事業部,MD事業部所管 兼 第2マネージメント部長
さて、上司からの無理難題に頭を悩ませた小林は、2006年にオーガニック野菜スイーツ専門店「パティスリー・ポタジエ」を東京・中目黒に開店し、開店とほぼ同時にレシピ本を出版するなどしていた「野菜のスイーツを作るパティシエ」柿沢安那(かきさわあや)をスカウトすることでとりあえずのノルマを果たすことに成功。
柿沢をスカウトした時期は定かではないが、2008年2月のこちらのブログ(http://www.allnightnippon.com/fukuyama/blog/index.php?id=7&YMD=2008-02-07)に、柿沢がアミューズ所属と明記されていることから、アミューズの食育・農業プロジェクトが走り始めた時点でスカウトされていたのは間違いないだろう。
小林 上司から「新しくて面白いアーティストを見つけてきなさい」という漠然とした命令を下されて、気になっていたオープンしたばかりのスイーツのお店に行ってみました。そのお店のパティシエが面白そうだな、という直感ですね。お話をしたら、とてもクリエイティブで、音楽やカルチャーとかも好きで、アーティスティックな人だったんです!
---野菜のスイーツを作るパティシエ・柿沢安那さんだよね? よく見つけたよね。
市毛主導の農プロジェクトにいっちょかみしたものの、小林は本来ロック畑の人間、音楽に関わりたくて業界入りした人間である。柿沢のマネージメントも社内イベントに活用する程度で適当にお茶を濁していた小林だが、そうもいかなくなる事態が訪れてしまう。
2008年6月、市毛が第2マネージメント部長に就任してしまうのだ。それも取締役に昇任した上で。これはもう逃げられない。どうする小林?
今まではのらりくらりとかわしていた食育・農業プロジェクトの最前線に立たされてしまった小林は、野菜パティシエ柿沢を大々的にプロデュースしていかなければならなくなる。
小林は攻勢をかけた。
なんといきなり柿沢冠ラジオ番組の開始である。「柿沢安耶のオールナイトニッポン」が2008年8月に開始される。あのオールナイトニッポンである。柿沢は週1回金曜日にレギュラーを持ち、10月まで放送された。
そして、2008年11月26日には「情熱大陸」(毎日放送)に出演させてしまう。アミューズの力恐るべし。
ところで、柿沢安耶のレストランを経営しているのは旦那様です。
こちらのインタビューなどを見ていただいてもかなりのやり手であることがわかります。ちなみに広告代理店出身です。http://www.brandingnavi.com/n1000/00513.html
こうして柿沢安那さんはどんどんカリスマ野菜パティシエに祭り上げられていきます。
東京・中目黒にお店をだし、本も出版、冠ラジオ番組も持ち、雑誌にもテレビにも引っ張りだこ
カリスマ野菜パティシエの誕生です。
2009年1月、アミューズは「ららら農業プロジェクト」発足の発表をします。
「ららら農業プロジェクト」発足のお知らせ
総合エンターテインメント事業を展開する株式会社アミューズでは、この度、新規事業企画として、「ららら農業プロジェクト」を発足しました。
ららら農業プロジェクトは、『耕そう。』をコンセプトに、アミューズらしい方法で農業に取り組み、農業への関わり方や未来の農業のあり方を考え、提案していくプロジェクトです。このプロジェクトには、ららら農業サポーターとして、所属アーティストである、柿沢安耶(ポタジエ オーナーシェフ)、南清貴(フードプロデューサー)、TEAM NACS の森崎博之やjunaida(イラストレーター)らが参画しており、農業や食にまつわる様々な情報やメッセージを分かりやすくお伝えしていく予定です。
趣旨がわかったようなわからないような。。。。
ただ、バラエティ班ががっつり前面にでてきている気配を感じます。
既にこのプロジェクトの一環として、千葉県南房総市千倉町に農地を借り、アミューズ社員や若手アーティストが、美味しい野菜作りに挑戦しています。さらに、2009 年1 月4 日からは、テレビ東京にてアミューズ制作の農業情報番組「畑のうた」の放送が開始しています。この番組は、一昨年行いました弊社創立30 周年記念事業の企画募集にて、総応募企画数371 企画の中からグランプリを獲得した3 企画のうちの1 つであった“ニート救済企画事業「産地直送!農業ドキュメント『移民のうた』」”企画をテレビ番組へ実現化させたものです。
テレビ番組も制作され、30周年事業も軌道に乗ったようです。
番組制作能力も有するアミューズならではの実力・手法でしょう。
この社報は最後にこう書かれています。
またアミューズは、農林水産省が平成20 年度より食料自給率向上のために立ち上げた組織である「FOODACTION NIPPON」に推進パートナーとしても参加しています。今後はこの「ららら農業プロジェクト」を通じて、農業や農業に関わる人達への理解を深め、農業をより身近に感じていただけるよう、様々な形態のコンテンツをプロデュースし、事業化を目指し運営して参ります。
そう、アミューズはお役所とがっつり組んで食育・農業プロジェクトを推進していくことになったのです。お相手は農林水産省。広告代理店を挟まない直取引でのようです。
さて、これまで斜に構えて流れを見てきましたが、そもそも食育・農業プロジェクトをなぜアミューズは進めたのでしょう。市毛はインタビューにて株主を意識した発言をしています。
市毛「株主から「新しい事業に期待している」というメールをいただき」
一部上場企業として株式公開しているアミューズは30周年事業ともなると、単に営利だけではなく、社会貢献ということも必要になってくるのだろう。社会によい影響を与えるムーブメントづくりもテーマになってくる。そのような意味で採算を度外視してでも真摯に取り組んだ仕掛けだったのかもしれません。
下はアミューズの2009年のプレスリリース一覧ですが、食育・農業プロジェクト関連のニュースがずらっと並んでいます。いかにアミューズがこのプロジェクトに懸命に取り組んでいたかがわかります。
http://ir.amuse.co.jp/news/press/index.php?year=2009
「ららら農業プロジェクト」として「様々なコンテンツをプロデュースし、事業化を目指し運営」と宣言したアミューズでありますが、
ここでついにアミューズキッズが登場します。
市毛るみ子の経歴を見ると
2006年(平成18年)4月 当社執行役員第3マネージメント部長 兼 第5マネージメント部長 兼 WILL事業部担当
WILL事業部はアミューズモデルスのことです。アミューズキッズを含むモデル部門は「2004年に芸能事務所ウィルコーポレーションを吸収合併し、アミューズWILL事業部としてモデル部門(アミューズモデルス)を設立」した経緯があったので、第〇マネージメント部ではなく、吸収合併した事務所名を部の名称に残していました。なお、合併のほとぼりが冷めた頃、WILL事業部は新人開発部に名前を変更した模様。
いずれにせよ、市毛はアミューズキッズ担当役員でもあったんですなあ。
ということで、アミューズキッズも食育・農業プロジェクトに巻き込まれていきます。
柿沢安耶のもとで修行する「見習いパティシエユニット」企画が発案されたのです。
音頭をとったのはプロジェクトに関わっている第2マネージメント部つまりは我らが小林さんサイドでしょう。
こうして「見習いパティシエユニット」(食育・農業プロジェクトのマスコットガールみたいなものでしょうか)をアミューズキッズから選ぶためのオーディションが行われました。
(堀内)まり菜ちゃんと初めて会ったのはいつ?
飯田來麗「ミニパティのオーディションです」
https://twitter.com/iidaraura/status/554224766270193664
オーディションの時期は時系列的に2009年1~3月と推測しています。
オーディションの結果、可憐girl'sに続くアミューズキッズ第2番目のアイドルユニットには以下のメンバーが選ばれました。
飯田來麗(小学4年生)
飯田は幼少期からモデルをしており、子供ファッション雑誌「KIDS STYLE」のモデルを務めていたところ2005年アミューズにスカウトされた。武藤彩未とともに最も初期のアミューズキッズと言われている。
堀内まり菜(小学4年生)
堀内は2007年ちゃおガールオーディションでスマイル賞を獲得しアミューズ入りしていた。
杉崎寧々(小学4年生)
杉崎も堀内同様、2007年ちゃおガールオーディションスマイル賞を獲得しアミューズ入り。
このようにして結成された、柿沢安耶のもとで修行する「見習いパティシエユニット」は「ミニパティ」と名付けられます。